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Статьи о Японии

07.01.2013

ロシアの「カントリージェントルマン」 サラトフ紀行

「大和」の生徒たちと。ユーリー・バーリノフ提供。
ロシア南部の町サラトフを初めて訪れたのは2012年夏のことだった。しかしその時は到着が夜、さらにそこから自動車で違う町まで移動したので、月明かりに照らされた町並みの輪郭しか見ることができなかった。ただ、「帝政ロシアの地方都市」という印象が強く刻まれたのを覚えている。丘の上にある飛行場からヴォルガ川沿岸に広がる市街までゆっくりと自動車で降りていけば、まるでミニチュアのような帝政時代の古い商家が碁盤の目に立ち並んでいる。そして帰りは早朝、離陸までのわずかな時間、ガガーリン像が立つ川岸を歩きながら、かつてはヴォルガの川下りで活気があっただろう船着き場を見納めに、サラトフを後にしたのである。
 そのサラトフを再び訪れることになったのは2012年12月末だった。モスクワからサラトフへは今でも「Як-42 (ヤーコヴレフ42型)」というソ連製小型機が飛んでいる。上空からヴォルガの雄大な流れが見え、サラトフの名刺代わりともいえる美しい橋が眼下に見えれば、1時間半のどこか頼りないフライトもおしまいだ。

 空港で迎えてくれたのは、日本をこよなく愛するユーリー・バーリノフ氏だ。彼は自身で「大和」というセンターを組織し、特に若者たちに日本語を教えている。なんと2012年のロシア全国日本語弁論大会決勝(モスクワ)で優勝したのは彼の教え子だということだ。今年からはサラトフ国立大学との連携も深まり、さらなる飛躍が期待されるという。

 サラトフが誇る人物はなんといっても革命家チェルニシェフスキーだ。日本でも彼の小説「何をなすべきか」は広く知られていることだろう。ソ連の公式見解では帝政に恐れることなく立ち向かったことが強調されがちだが、チェルニシェフスキーその人はボリシェビズムとは対立する考えを持っていた。つまり「人間そのものが変わらない限り、暴力をもってしても何も変わらない」という、極めて常識的な立場を崩さない人物だったのである。サラトフ市内にあるチェルニシェフスキー博物館ではしたがって、いわいる「ソ連の革命家」ではない「コモンセンスをもった改革者」としての彼の姿に触れることができる。

 このチェルニシェフスキー博物館で地元の知識人らがあつまるアフタヌーンティーにお邪魔させてもらった。博物館の職員を中心に、作家、建築家、作曲家、学者らが一つのテーブルを囲んでおしゃべりを楽しむ。中には東日本大震災の様子をテレビで見たときに書いたという自分の作品を読んでくれた詩人もいたし、博物館に残る19世紀のピアノで演奏を披露してくれた地元学校の音楽教師もいた。

 町を歩いてみてもわかるが、モスクワのような喧騒もなく、極めて落ち着いた「大人の街」といえるだろう。知識人たちはモスクワから離れていることをかえって楽しんでいるような余裕さえある。私なども「モスクワから来ました」ということに、そのうち軽い恥じらいを覚えるようになったほどだ。満ち満ちたヴォルガの流れに育まれたサラトフの前では、「モスクワ」という響きがなんと尻軽で青臭い感じがすることだろう!

 演劇研究家のディヤーコノフさんと公園を散歩しながら、次のような話になった。

 「『ヴォルガの文化首都』としての意識はいまでもあります。ソ連が崩壊して、この町の産業がなくなってしまった今ではなおさら、文化というものしか残されていないのです。」

 プロヴィンツィアーリノスチ(ロシア語で「田舎、地方」を意味するプロヴィーンツィアに由来)という言葉がある。これは「田舎臭さ」と理解してはいけない。地方にいるからこそ、じっくりと世の中のことを見つめ考えることができる、そういう意味だ。英国でいうところの「カントリージェントルマン」とどこか共通するところがあるだろう。

 そういえば、モスクワよりもサラトフの人たちのほうが心なしかスーツがよく似合う。

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Автор:  ヒロヨシ ヤスモト

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